第六章 探偵を辞める日
2025年11月19日
探偵はここにいる
森 秀治
探偵を辞める男がいると聞いて紹介してもらうことにした。
その理由が知りたかった。仕事を辞めるという節目には人間らしいストーリーが存在し、生々しい心の軌跡も生じる。その決心の背景に探偵という仕事の本質が隠されているのではないかと思ったのだ。
私は、会社からリストラを言い渡されたことも、倒産で職を失ったこともある。どちらの場合も、現状への不満、将来に対する不安と微かな期待など、さまざまな思いが錯綜し、自分のことを真剣に考え直すきっかけになった。良くも悪くも、人生の転換期であったことは間違いない。
三月二九日の午前一〇時、新宿歌舞伎町近くのファミリーレストランで取材に応じてくれる探偵と待ち合わせをしていた。探偵を辞める者の取材場所としてファミレスは適していたのだろうか。答えにくい話題まで掘り下げていく可能性を考えたら、人目に触れない場所が好ましいのではないか。そういう思いもあったが、取材場所は相手からの指定だった。仕事上、都合がよかったのだろう。
新宿駅の東口から地上に出て、スタジオアルタ前に出る。「新宿随一」の待ち合わせ場所は、朝の一〇時でも人でごった返していた。大学生や高校生といった若い人が多いのは春休みだからだろう。
スタジオアルタを通り過ぎてABCマートを左に曲がり、石畳で整備されたモア4番街を歌舞伎町方面に向かって進む。大きなトラックが何台か止まっていた。朝の時間帯は商品を運搬する業者が多数出入りしている。片側四車線の靖国通りを渡って左に向かう。左側に見えてきた新宿ゴールデン街の入り口を少し過ぎたあたりに指定されたファミレスがあった。
待ち合わせの一〇分ほど前に着いたが、店内は空いていたので、エントランスで待つことにする。店員さんに「お一人ですか?」と声をかけられたが、三人で待ち合わせであることを伝え、その場で待つことにする。
これから取材する探偵の名前は吉村直樹。二十代後半の男性である。三十歳手前というのは、悩みの多い時期だ。ある程度仕事に慣れてきた頃で、自分の状況を客観的に見渡せるようになる。将来の自分、これからの仕事、そして結婚を含むプライベートなど、あらゆる人生の悩みが荒波のように押し寄せてくる。まだ別の道を歩める可能性が残されている分、悩みや迷いも多い。今とはまったく違う職業に就くことも可能で、人生をやり直せる、ギリギリの年齢でもある(本当にやり直せるのかは本人次第でもあるし、どれほど時を取ってもやり直せる人もいる)。
その三〇歳手前で、吉村は決断しようとしている。探偵になった年齢はわからないが、もう中堅の域に入っているのではないか。紹介時の簡単な説明では、新米ではない様子が窺えた。探偵の仕事に憧れてきた吉村は、将来の自分を想像したに違いない。ロールモデルとなるような憧れる先輩が身近にいなかったのだろうか。四〇歳、五〇歳になった自分が探偵として活躍している姿を思い浮かべられなかったのではないだろうか。肉体的にも精神的にもキツい探偵を何十年も続けるためには、確固たるモチベーションが必要だ。多くの探偵が、三〇歳前後で自分の人生を見詰め直し、ある者は決意を新たに探偵道を突き進み、ある若き探偵業者から去っていく。
探偵を辞めるという吉村に会うにあたり、そんなことを思い描いていた。初めて会う人物の取材では、相手のことを想像してしまう。真面目なタイプだろうか、話しやすい人柄だろうか、無口なのだろうか。あらゆる可能性を想像して、意味もなく緊張する。十数年取材を続けてきたが、初対面の者と対峙する前の緊張感だけは変わらない。ただ、その緊張感を黙らせて、相手に悟られないようにするすべだけは身についた。
緊張がピークを通り越して、疲労が顔を出してきた頃、吉村らしき人物が店に入ってきた。身長は低めではっそりとしている。顔は整っているが、地味な印象もあり、少し神経質そうに見える。ジャケットにチノパンという目立たない服装だ。探偵の制服ともいえるほど、定番の格好だった。「吉村さんですか?」と相手を確認して、こちらの名刺を渡す。吉村は「名刺は持っていなくて……」と、頭を下げながら名刺を受け取った。
これまでに何人もの探偵に会ったが、誰も名刺を持っていなかった。新人とまだ名刺を持たされていないこともあるが、何年も探偵をしている者でも持っていない。聞いてみると、正体を知られたくないこともあるが、悪用されないためでもあるという。人を脅したり、詐欺まがいの犯行に及ぶ可能性を危惧しているのだ。そういえば、これまでに何人かの警察官と出会ったことがあるが、誰も名刺をもらったことがない。同じような理由があるのかもしれない。
店員に案内されたボックス席に向かい合って座った。先に注文をして、取材の意図を伝える。あらかじめ聞いていたのだろう。吉村に戸惑いはなかった。シャイな性格なのか、口数は少なく、分からずじまいだった。
分からず話すことは少ないが、こちらの質問には答えてくれる。決してコミュニケーション能力が低いというわけではなさそうだ。周囲を気にしながらなのではあったが、話しにくいこともためらわなかった。歌舞伎町のファミレスを指定してきたのは、ざわついた店のほうが話しやすかったのかもしれない。まわりの人たちは、誰もこちらを気にしてしていなかった。
辞めるのは今月末だという。取材を行ったのは三月二九日(二〇一九年)だったので、吉村はあと三日で探偵を辞めるということだ。
吉村直樹は、一九九〇年生まれの二八歳。取材当時は岡山県の出身。小学校三年生くらいのときにサッカーを始めた。できたばかりの地元のクラブチームに入ったのだが、サッカーに興味があったわけではなかった。人数が足りないという理由で、近所の同級生から誘われたのだ。
きっかけは何であれ、吉村はサッカーに夢中になり、毎日ボールを蹴るサッカー少年になる。運動神経もよく、チームではフォワードを任された。点取り屋であり、エースでもあった。ただ、チームはそれほど強くなかった。
サッカーは高校卒業まで続けた。サッカー部のない高校に進学したため、同じクラブチームでプレーを続けた。高校でサッカー部を活動したが、実現することはなかった。
岡山県の山間にある実家は、祖父の代まで農業を営んでいた。父親は会社員で、家は貧しいというわけではないが、裕福でもなかった。大学に進学できないほどではないが、私立大学は親の負担も大きいと考えた。田舎の町だったため、どこの大学にしても下宿になる。私立大学で下宿代もかかるとなると、年間の負担額は二〇〇万円を超えるだろう。四年間通うとなると、一桁違ってくる。
本人が決めれば、親からいわれたのかは定かではないが、吉村には国立大学しか選択肢がなかった。その状況はよくわかる。私も同じで、私立大学に進学することは頭になかった。しかも、通える範囲内にある国立大学だけだったので、幸い、京都市内に住んでいたため、選択肢はいくつかあった。京都、大阪、神戸あたりまでなら通学可能だ。場所によっては、滋賀や奈良も通学圏内。
全国の国公立大学に目を向けるため、吉村は選択の幅が広がったはずだ。
「僕はどちらかというと、ひとりでも行動的じゃないんですよ。なので、地元から離れるのが怖いというか、不安というか……」
吉村は地元、岡山大学への進学を希望していた。小さい頃は勉強もできたが、高校に入って学業をおろそかにしたため、岡山大学には到底合格できそうにない。浪人も考えたが、年子の弟と同じ学年になるのも嫌で、現役で行けそうな大学を探した。地元を離れての下宿にはなるが、同じ中国地方の鳥取大学であれば、距離的にも近く、合格の可能性も高かった。
吉村は、鳥取大学工学部に無事入学。鳥取での一人暮らしが始まる。大学でもサッカーをしようと思っていたが、アルバイトが忙しく、サッカーをする時間がなかった。親からの援助と奨学金もあったが、生活費の大半は自分で稼ぐことにしたのだ。親に負担をかけたくない思いが強く、最低限の仕送りしかもらっていなかった。
ホームシックもひどかった。このくらいの年齢の男子は、少なからず親元を離れたいものだが、吉村の人で、新しい世界に飛び出したい願望や、生活に対する不安や心配よりも大きくなることはなかった。
「高校時代は一人暮らしなんて想像すらし ていなかったですし、実際にしてみると寂しいというか、不安に押しつぶされる感じだったんですよ」
夏休み前に、ようやく同じ学部の数人と親しくなった。人当たりは悪くなく、誰とでも話せるのだが、広く浅い関係ではなく、狭く深い友人関係を望んでいたこともあり、友人は慎重に選んでいた。ホームシックは克服した。誰でも友だちになりたいわけではないのだ。
トの日まで、大学生らしい楽しいことはほとんどなかった。サークルにも所属せず、工学部は男子ばかりで、女の子と知り合う機会もなかった。
三年の夏、吉村は大学を中退することを決意する。
「単純に大学が嫌だったというのもあるし、仮にあと半年頑張ったとしても、意味があるのかな、と思った。
と思ってしまう……。大学を出ていると就職に有利といわれるけど、僕、ひねくれているんで、そういうのに違和感があって……。卒業して普通にしかないと思ったら、残りの一年半、自由とダラダラしたほうがいいと思ったんですよね。親には迷惑をかけるけど、それ以上に中退することに重要なものがある。
意味がわからないと思うが、中退経験のある私には、いいたいことがなんとなくわかる。
私は大学では物理学を学び、大学院で惑星科学を専攻した。修士課程では太陽系が生まれた過程を研究したが、博士課程では惑星探査機を製作する部門に鞍替えした。楽しそうな研究に見えるかもしれないが、そう単純でもない。
まず、すべての学生が将来、研究職に就けるわけではない。研究のポストは限られており、無職になる可能性も高い。実際に、博士号を取得したにもかかわらず、どこにも所属できないオーバードクターと呼ばれる人も溢れていた。
私がほんの少しだけ関わったのは、水星に行く予定の探査機だったのだが、打ち上げ予定は一〇年後といわれていた。当時二六歳の若者にとって、一〇年という時間は長かった。一つのことに一〇年も費やせるほど、盲目になれなかった。朝九時に研究室に行き、夜遅くまで研究し、家に帰ってもその課題の課題をこなす。睡眠時間は四時間くらいしかないのに、給料が出るわけでもなく、憂鬱という名の怪物を積み重ねてやる意味を見出せなかった。
ちなみに、JAXA(宇宙航空研究開発機構)とESA(欧州宇宙機関)の共同プロジェクト「ベピコロンボ(BepiColombo)」は、そのときから一六年後の一二〇一八年一〇月二〇日、フランス領ギアナの宇宙センターから打ち上げられた。ベピコロンボには、二つの探査機が搭載されている。そのうちの一つが、JAXA担当の水星磁気圏探査機「みお」だ。今後、水星周回軌道上で切り離され、水星周辺の磁場を計測したり、水星の表面にある希薄な大気などを観測したりすることになっている。水星の周回軌道に到着するのは、さらに七年後の二〇二五年一二月の予定である。
二〇〇二年月、世の中が日韓ワールドカップで盛り上がっている頃、私は大学院を辞めることを決意した。日本の快進撃に浮かれている世間を尻目に、私は暗い穴に逃げ込んでいた。その言葉どおり、研究室にも行かず、家の中に閉じこもっていたのだ。
世の中と自分の置かれている立場の違いからだった。自分のまわりだけ、生ぬるい水の中にいるような重苦しさと息苦しさが漂っていた。この状況を抜け出すためには、現状をゼロに戻すしかなかった。
吉村も同じような思いだったからわからないが、似ている部分もあるのではないだろうか。破滅願望とまではいかないがゼロからやり直したい思いは誰にでもある。迷路に行き止まりにぶつかったら、後戻って別の道を探すしかない。先の展望がなかったとしても、今の状況から抜け出すことが優先事項なのである。
大学を辞める決意をした吉村だったが、親からはもちろん反対された。何度も説得されたが、吉村自身の意思を曲げるつもりはなかった。
最終的に、まずは大学に行くことになった。休学中の授業料はかからなかったからだ。両親としては、半年休んだら、また大学に行きたくなるかもしれないと思ったのかもしれないが、半年と経った二月末になっても、吉村の気持ちに変化はなく、退学届を大学の事務所に提出した。
「僕は、ゼロか一〇〇みたいな性格なので、スパッと辞めたんですけど……。親に説得された等で納得があってもいいかなと、休学することにしたんです。でも、やっぱり変わらなかったですね」
大学を中退した吉村は、岡山の実家に戻った。その半年後に再び実家を出ることになるのだが、その半年間は、おそらく吉村の人格形成、人生の価値観に多大な影響を与えたであろう。とても重要な期間になる。
開かれたくない過去なのだろう。人づてに聞いた話もある。不意にそういった過去を話せるようになる。おそらく、自分の恥部を見られる恥ずかしさと自分一人で抱え込んでいる秘密を開放したいという思いが同居しているのだろう。
吉村は少し思い出すように、出会い系サイトで遊んでいたことを告白した。二歳の男子であれば、誰でも女の子と遊びたい、遊びたい気持ちを健全であるけれど、不特定多数の女の子と遊びたいとなったら、大きな声ではいえない。世間は、いかがわしいものを見るような目に変わる。
大学時代は工学部だったこともあり、女の子との出会いはほぼ皆無。大学を中退するまで、吉村は女の子と付き合ったこともなかった。モテないようには見えないが、人よりもシャイな性格が邪魔をしていたのだろう。
「高校時代とか、好きな子とか気になる子はいましたが、周囲の目を気にしていましたね。そこまでして付き合いたいとは思わなかったです」
三年の春、大学に退学届を出した直後、吉村は異性と初めての経験をした。相手は、高校時代に仲が良かった同級生だった。
彼女から、久しぶりに森林会わないか、という内容のメールが届いた。何度かやり取りをしているうちに、なぜか会う前に付き合うことになった。なぜ付き合うことになったのか、吉村はよく理解できていなかったが、相手は付き合うという形にこだわっているようだった。彼女の圧に押された形だったが、吉村に断る理由はなかった。
吉村はまだ鳥取市に住んでいたが、彼女も岡山市で会う約束になった。彼女は岡山市内の大学に通っていたからだ。鳥取駅から岡山駅までなら、特急スーパーいなばに乗れば、二時間弱で到着できる。
久しぶりに会った彼女は、高校時代とは雰囲気が変わっていた。大学生になり女性らしくなっていて、垢抜けているように見えた。倉敷まで足を伸ばして美観地区を観光してから、岡山市の繁華街である商店街の裏手の古いアーケードをぶらぶらして回った。チェーン店の居酒屋で食事を済ませた後、彼のすぐ先に彼女がいた。
初対面の二人のその部屋は、男兄弟しかいない吉村にとって未知なる空間だった。家具やカーテン、雑貨の色使いも違えば、自分の部屋にはない可愛らしい小物がたくさん置いてある。見える物だけではなく、漂っている匂いや空気まで違う。
吉村と彼女は裸で抱き合った。二人とも、初めてだった。
翌朝、吉村が目覚めたとき、彼女の様子が昨日とは微妙に変化していた。少しよそよそしく感じられたのだ。今にして思えば、昨夜の彼女は無理して明るく振る舞っているようだった。童貞を卒業したばかりの吉村は、そのことにあまり気を配れず、彼と別れて鳥取に戻った。鳥取の下宿を引き払うためである。その後、彼女にメールをしても、そっけない返事があるだけで、そのうち返信すらなくなった。
高校時代は多少なりとも僕に好意を持ってくれていたのでしたが、そのときはちょっと違っているように感じました。確信はないですけど、遊ばれたような気がします。ひょっとしたら、彼女はメンタルが弱いところもあったので、寂しさを埋めたかったのかもしれません。看護の勉強でストレスがたまってたんじゃないでしょうか……」
吉村も彼女も純朴だったのだろう。互いに貞操観を持っていたのかもしれない。結婚するま
では、というほど強い思想でなくても、「最初は好きな人と」と考えていた可能性は高い。会う前に付き合うことにこだわった背景には、そういった事情があったように思われる。「付き合っているのだから、エッチしてもいい」と、自分に対する言い訳も含まれていたはずだ。
吉村は傷いたが、「そういうものか」という思いのほうが強かった。これまで大事にしていたものがそうではないと気付いた瞬間だった。長年抑制されていた欲望は、壊れた蛇口のように、四方八方に勢いよく噴き出し始めた。吉村が出会い系サイトにのめり込んだのは、それからだった。
手っ取り早く、そして後腐れなくセックスができると考えたのだ。実家に戻って何もすることがなかった吉村は、ほぼ一日中スマホで出会い系サイトを眺めて時間を潰した。
出会い系サイトで書き込みをしたり、めぼしい相手にメッセージを送ったりする。中には「会いたい」と思わされながら、あれこれ理由を付けてやり取りを引き延ばし、ポイントのために課金させる〝サクラ〟と呼ばれる女性も多い(女性のフリをしている男性もいる)。アルバイト感覚でサクラをしている者も多く、出会い系サイトの運営会社から報酬を得ているのだ。他にも、援助という名の売春交渉をしてくる者や業者もいる。しかし、毎日何時間もサイトを見ていると、サクラか業者か、援助目的のかといった判別できるようになる。
大学を中退したばかりでアルバイトもしていない二歳の男では、潤沢な資金を持っていない。奨学金の残りでなんとか生活していたが、それもいずれ返さなくてはいけない借金である。無駄な課金もしなくてよければ、一回の行為で三万円も三万円も払うことなどできない。単にエッチがした
い希少な女の根気よく探すしかない。幸い、時間だけはたっぷりとあった。
女性と会うためなら、吉村は広島でも島根でも車を走らせた。片道だけで二時間、三時間かかっても平気だった。時間を同じように、女性への興味と性欲も溢れるほどにあった。約束の時間まで余裕があれば、高速を使わず、ひたすら下道を走った。女の子と合流してもホテルには行かず、その子の家まで行くか、市の中で待ち合った。気が合いそうな女の子もいたが、吉村は後腐れのない〝大人〟の関係を保った。
「その頃は、よくないんですが、ある程度のことはできたら、もういいやって感じでした。本当にいい人がいれば、また違った関係もあったんでしょうけど、だいたい住んでいる場所も離れていますね。一回きりの関係ばかりでした」
二歳の春から秋にかけて、吉村は出会い系の世界で生きていた。これまでの遅れを取り戻すかのように、オスの本能がままに行動した。吉村が望んでいたとおり、ダラダラとした生活を送っていたわけだが、そんな時間が長く続くと、新たな不安が顔を出す。
「出会い中心の生活が、いつ終わるんだろうというのもありましたし、やっぱりこのままニート生活というのもよくないと思い始めたんです」
会う約束を取りつけたとき、実際に女の子に会えたとき、そして欲望が満たされたとき、脳内には大量のドーパミンやドーパミンが分泌される。出会い系に中毒性があるのか、見知らぬ異性との関係に中毒性があるのかはわからないが、一度ハマるとなかなか抜け出せない。将来に対する不
安と、一回だけの関係という背徳感に浸かりながら、吉村は出会い系サイトの中毒から逃れられずにいた。
一〇月一日、吉村は二三歳になった。
「この日、吉村は決意した。新しい環境でやり直そう」と。「東京に行って、仕事を見つけよう」と重い腰を上げた。その日のうちに、岡山駅に行き、東京行きの夜行バスに乗った。両親は驚いていたが、反対はしなかった。半年間もニート状態だったので、自ら行動を起こしただけでも嬉しかったのかもしれない。少しではあるが、現金も持たせてくれた。
夜行バスの中で、これからのことを考えていた。何をしたいのかはまだわからなかったが、東京は何かがあり、自分の知らない世界が広がっているように思えた。高速道路をひた走るバスが、どこか知らないところへ連れて行ってくれる。希望や期待があったが、同時に不安もあった。
次の日の早朝、吉村を乗せた夜行バスは東京駅八重洲南口に到着した。ほとんど眠ることができず、「一〇時間近くもかかった」「もう二度と乗りたくない」というくらい、疲労感があった。夜行バスを降りてから、JRで新宿に行き、小田急線に乗り換えて下北沢に向かった。
吉村は、東京に行くなら下北沢と決めていた。アジアン・カンフー・ジェネレーションといった日本のロックが好きだったこともあり、東京イコール下北沢(シモキタ)という印象があったのだ。シモキタには、有名なバンドがデビュー前にライブを行っていた伝説のライブハウスが多数存在する。
高円寺と並び、シモキタはバンドマンの聖地なのだ。
その日は一日中、シモキタを歩き回り、シモキタのネットカフェで一晩過ごした。シモキタにいるというだけで、新鮮な気分だった。昨日はまだ岡山の田舎にいた自分が、今は憧れのシモキタにいる。そう考えるだけで気持ちが高揚していた。
翌日、住む場所を見つけるために不動産屋に行った。ところが、予算の四万円以内で住める物件は、シモキタにはなかった。地域を都内に広げて探してもらうと、板橋にユニットバス付きの物件が見つかった。すぐに内見させてもらうと、古いアパートの一階で、きれいとは言えなかったが、静かな場所だった。払えがなく、敷金も一カ月分だけだったこともあり即決。審査が下りて契約書を交わすまではネットカフェで過ごし、三日後に賃貸契約が締結されてから引っ越した。引っ越しといっても荷物はリュック一つしかない。ほぼ手ぶらだったため、最初の二週間はフローリングの上で寝ることになった。
「寒すぎて寒すぎて、死ぬかと思いました。カーテンすらない、人があまり通らないところだったんで関心ないんですけど」
その後、寝床など必要最低限のものは実家から送ってもらった。吉村は今も、その家賃四万円の板橋のアパートで暮らしている。
部屋が決まれば、今度は職探しである。すぐにでも働き始めないと生活ができないため、手っ取り早くコンビニでアルバイトをすることにした。大学時代に経験があったからである。近所のコン
ビニで、主に深夜のシフトに入った。鳥取は全国的に見てアルバイトの時給が低く、東京の時給の高さに驚いたが、東京は物価も高かった。
コンビニのバイトは、一年ほど続けることになる。その間、正社員の職を探そうとは思いながらも、なかなかやりたい仕事を見つけられなかった。いや、真剣に見つけようとしていなかった。
二年続けてコンビニを辞めたのは、オーナーから「正社員にならないか」という誘いがあったからだ。アルバイトであれば、どんな仕事でもかまわないが、正社員となれば話が変わってくる。吉村は、なぜだかコンビニの仕事にプライドを持てなかった。
「毎日、いろんな人を見るわけじゃないですか、言葉は悪いですけど、頭の悪そうな客がいっぱいいて、コンビニの店員を完全に見下しているんです。そういうのって、ちょっと違うんじゃないかと思ってたんですよ。コンビニで正社員になるつもりはなかったです」
箸が入っていなくて「箸、入ってねぇぞ!」と怒鳴られたり、弁当を電子レンジで温めたとき「温めすぎだろう!」とクレームをつけられたりする。弁当を温める時間は決められているし、熱いかどうかの感覚は人それぞれである。吉村にとって、それはストレスがたまることだった。こういったことから、下に見られたくなかったという。
吉村はプライドが高かった。小さい頃から勉強もスポーツもできた。ほとんど勉強しなくても国立大学に合格できた。中退してしまったが、それもまわりの同級生とは見ているものが違ったからである。機械工学の勉強をして、卒業後はそれを押したようにメーカー企業の研究職に就く。レール
に敷かれた人生を歩みたくない。吉村のプライドが許さなかったのだろう。オーナーからの誘いを断った吉村は、アルバイトも辞めることにした。
東京に出てきても、吉村の出会い系中毒は治まっていなかった。前ほどの執着はなくなったが、暇な時間があると、どうしてもサイトにアクセスしてしまう。田舎よりも東京のほうが女性からのカキコミ件数が多く、新しいカキコミがないか、ついチェックしてしまうのだ。
コンビニのバイトを辞めた頃、吉村は茨城県に住んでいる女の子と知り合った。彼女はまだ大学生だったが、バイトを辞めたこと、再び無職になったことを優しく理解してくれた。週末にはわざわざ東京まで来てくれて、いつの間にか付き合うようになった。
真剣に思える彼女ができると、男の本能にスイッチが入る。「獲物を仕留めなくては」という大きな狩猟の本能は、現代では「金銭がなくては」という仕事本能にすり替わっている。吉村も彼女のために正社員の仕事を探すことにした。
真剣に探偵という興味が、探偵という文字面に惹かれたのだった。
「僕、割とそういうところがあるんですよ。デザインに惹かれるというか、直感で決めてしまうことがあるんですよね。ただ、物騒というか怖いイメージもありました」
募集していた探偵社は、知名度も規模も大きなところだった。吉村が探偵に興味を持った
二〇一四年、どこの探偵社も人手が足りない状況だったという。運転免許証とやる気さえ持っていれば、簡単に探偵になれたそうだ。研修期間は設けられていたが、それは現場で先輩を見て学ぶというスタイルだった。入社した次の日、吉村は早くも現場に送り込まれた。
直接、患者の役場に向かうと、初対面の先輩が一人いた。一人は二〇代半ばくらいの人だった。もう一人は三〇歳くらいの若い男だった。ベテラン先輩と吉村が一緒に行動し、若い探偵はバイク担当だった。初めての調査は、典型的な浮気調査。恵比寿のイタリアンレストランで対象者が現れるのを待つところからスタートした。
妻である依頼者からの情報で、その店を予約していることがわかっていたのだ。対象者は四〇代で中小企業の取締役。自由に使える金も多い。タクシー移動も予想されるため、バイクでの尾行も想定しての布陣である。
レストランの前で張り込んでいると、情報どおりに対象者が現れた。時間差で浮気相手と思われる女性(三〇代後半くらい)も入店していく。
二時間ほど張り込んでいると、二人は一緒に店から出てきた。少し周囲を警戒している様子だったが、結局、恵比寿駅西口にあるラブホテルに入っていった。先輩探偵は、その一部始終をカメラに収めていた。吉村は、その姿を後ろから眺めているだけだった。
先輩たちが撮ったこともあり、吉村は不安に駆られた。
「正直いうと、ヤバイ世界に足を踏み込んだんじゃないかって不安になりました。実際に話をし
てみると、すごい普通の人たちだったんですけど、最初は怖かったですね」
毎日同じことの繰り返しに嫌気が差していた吉村にとって、探偵の仕事は刺激的だった。毎回違う人を尾行し、いろいろな場所に行く。コンビニでアルバイトをしていたときとはまるで違った。
吉村には、毎回違う人と違う場所で逢瀬を交わす出会い系に通じる緊張感と中毒性があるように感じられた。
吉村が関わった調査は、ほとんどが浮気調査だった。結婚しているのに他の異性と交わる男女。道徳観に反していると頭ではわかっていても、不貞をやめられない性。浮気調査をする度に、「みんなそうなんだ」という気持ちになるという。
長く女性に対して我慢していた吉村は、不本意な初体験によって一気に目覚めてしまった。一人でも多くの女性とセックスがしたかった一方で、欲望を抑えられない自分に対して罪悪感を持っていた。制御不能な欲望に慄くこともあった。そんな吉村にとって、浮気調査は自分への免罪符になっているのかもしれない。
吉村にとって、探偵の仕事は性に合っていた。アルバイトをしているときは、「今日はバイトに行きたくない……」と思うことが度々あった。誰でも同じだろう。仕事に行きたくない憂鬱な日は必ずある。しかし、探偵の仕事に対して、吉村は一度もそういう日がなかったという。女性との待ち合わせを別とすれば、自称「ひきこもり体質」という吉村にとって、奇跡のようなことだろう。
「今まで、億劫な気持ちになったことがないんですよ。興味のある仕事だからかもしれないです」
知らない他人の生活を覗いたり、知らない世界を垣間見たりすることに、とりわけ興味があった。個人の興味とリンクするところが多く、仕事とプライベートの境を感じない。プライベートの一部が仕事になったようなものだという。それなのに、なぜ探偵を辞めるのか。謎だけが残る。
一方で、吉村は探偵の仕事に怖さも感じている。
「人を尾行するのはいつも怖いですけど、依頼を受けてやっていることですから、悪いことをしているわけじゃないんですけど、尾行していて震えることもあります。もし相手にバレてしまったら、何かされるんじゃないかって……」
吉村は何よりも暴力が恐れていた。痛めつけられる恐怖心が強かったが、暴力ですべてを正当化する理不尽さも許せなかった。すぐに暴力に訴える妻を見下していたが、それに抗えない自分もいた。
吉村は対象者に捕まって怖い経験をしたことがある。
二〇代後半の女性の依頼で、対象者である夫の浮気調査をしているときだった。夫が浮気をしていることはわかっていたが、離婚を有利に進めるために正式な証拠がほしいという依頼である。
実家に帰っている対象者は、浮気相手の家に入り浸っているという。まずは対象者を尾行して、浮気相手の家を突き止めるところから調査を開始。対象者の勤務先に夕方から張り込む。
調査を開始する前は、必ず現場の下見をする。その際、緒調査をする者とは別に下見をするのが探偵の基本だ。マニュアルで教えられるわけではないが、経験的にそのほうが見落としがない「いろんな人の視点で下見をすることが大事なんです。先入観があると、出入り口を見落としたりすることもあるので」
終業時刻になると、ビルの表玄関が閉まるところもある。鉄格子が降りてしまって表口からは一切出入りができないように見えるし、裏口には守衛が常駐している。従業員は裏口から出入りするのだと思い込んでしまうと、ミスに繋がることもある。表口の鉄格子は、内側から開けられる扉がついていて、ビルから出られるところもあるのだ。だからこそ、先入観を持たずに複数の目で下見をすることが重要なのである。下見をした後、軽く打ち合わせをする。互いに気付いた点や対策などを共有し、調査方法を話し合う。
この日の吉村らは、午後四時から張り込みを開始したが、対象者が出てくるのはもっと後だった。事前情報で午後六時半を過ぎないと対象者が退社しないことはわかっていた。万が一に備えて、早めから張り込みを開始してほしいという依頼者の要望だったのだ。もう一人の探偵は、対象者の別の動きにも備えるため、車で待機していた。
「絶対に動きがないとわかっているとき、『俺、何してるんだろう』って思いますよね。正直な話、寝てしまっても問題ないんですが、やっぱり何が起こるかわからないから意識は切らせないですし」
無駄な時間のように感じるが、その時間も調査報告書に記載できる。何の動きもなかったことも一つの成果なのである。そういう意味では無駄な時間ではないが、動きのない現場で何時間も張
り込みを強いられる探偵の気苦労もわからなくはない。
張り込み中、探偵はそれぞれ違う時間の過ごし方をしている。吉村はスマホで飲食店などの情報をを見ることが多い。いろいろな土地に行くため、人気のラーメン店などを探して、仕事終わりに寄ろうかなと思案する。そういったことも、つらい張り込みのモチベーションになるのだ。
「食べ歩きとかが好きですから、常においしそうな店を探していますね。張り込みの時間をどう過ごすかは、この仕事の醍醐味かもしれないです」
吉村も含め、探偵は音楽を聞いていることも多い。先輩の中にはずっとゲームをしている探偵もいるそうだ。「この人、ちゃんと見てるんだろうか」と思っていたら、対象者が出てくる瞬間は絶対に見て見逃さない。ゲームをしながらでも、意識は出入り口のほうに向いているのだろう。中には、何もせずにジッと見ているだけの人物もいる。
浮気調査の話に戻る。情報どおり午後六時半過ぎに会社から出てきた対象者を尾行する。地下鉄丸ノ内線で池袋まで行き、東口を目的もなさそうに歩いていると、電話がかかってきたらしく、誰かとスマホで話し始めた。ニヤけた顔からすると浮気相手だろう。対象者はジュンク堂池袋本店のほうへと歩いている。書店の入り口で立ち止まり、しばらくすると二〇代前半の女性が現れた。後からわかったことだが、この女性は同じ会社の別部署の社員だった。上司と部下の関係である。
二人は車通りのほうに歩いていくとビストロに入っていた。大きな窓ガラスの開放的な店だったため、吉村らは少し離れたところで待機。立ちながらの張り込みになった。暗い外から明るい店
内はほぼ丸見えである。逆に明るい店内から暗い外は見えにくいため、吉村らは数十メートルおきに店内の様子をチェックしに行ける。所在の確認をしながら、まだかかりそうか、もうすぐ出てきそうかといった雰囲気も探る。
探偵の中にも、勘のいい人、要するに〝持っている〟人がいる。吉村の先輩に、まさに〝持っている〟人がいるそうで、その探偵のエピソードを教えてもらった。
彼からの依頼で「彼氏が元カノと暮らしいるのではないか調べてほしい」いう調査だった。
彼氏のアパートの外で張り込みをするわけだが、数日調査をしても女性の出入りは確認できなかった。ところが、その先輩と組んだ日、ベランダに女性の洗濯物が干してあったのだ。いつの間に出入りしたのかわからないが、彼氏の部屋に元カノがいる様子である。アパートの出入り口を張り込みつつ、元カノが姿を現すかもしれないため、たまにベランダを確認しにいく。出入り口から出てきたときの動画よりも、彼氏の部屋にいたという確かな証拠となるからだ。だからといって、ずっとベランダを見張っていたら、アパートから出ていくところを見逃してしまう。
時間おきにベランダの確認に行くのだが、〝持っている〟先輩がふらっと撮影に行ったとき、元カノが洗濯物を取り込んでいる場面に遭遇し、撮影することに成功した。
「一時間おきに経過の映像を撮影するとしたら、僕なら一時、二時というように、ちょうどその時間に行くと思うんですよね。でも、その先輩は関係のない時間にふらっと撮りに行って、成果を出す
んです。他にも今まで一度も動きがなかった現場で、その先輩が担当した日に対象者と第二対象者が接触することが度々あります。持ってますよね」
本筋に戻るが、ビストロから出てきた対象者と浮気相手は、池袋駅東口に戻り西武池袋線の急行に乗り込んだ。吉村が徒歩で追い、もう一人は車で移動を開始した。ひばりヶ丘駅で乗り換えて秋津駅で下車。実家のある駅ではないため、おそらく浮気相手の自宅があるのだろう。その時点で、すでに夜の十時を回っていた。
二人は手も繋いで住宅街の夜道を歩いていく。駅から一〇分ほどの場所のアパートの前で立ち止まる。彼女の部屋に入ると思っていたが、アパートの入り口あたりで長々と立ち話を始めた。会話の内容までは聞こえないが、痴話喧嘩をしているわけでもなく、深刻そうな雰囲気もなかった。秋津から東京駅都内に戻る帰路は午前一時二分発。すでに午後一一時を回っているため、今日は部屋に入らずに帰宅するつもりののかもしれない。
「今日は空振りになってしまうかも」と吉村は考えていた。空振りで終われば、また日を改めなければいけないし、調査費用も嵩むので依頼者の金銭的な負担も増える。浮気相手の家が判明したことは成果の一つではあるが、部屋に入って出てくるところを撮影できなければ浮気の証拠にはならない。「ここまで来たんだから、成果を出したい」と吉村は焦っていた。いや、探偵であれば誰でもそう思うだろう。今日だけでも何時間も追いかけてきたクライマックスである。肩すかしで終わってもいいと思う探偵など、いない。
対象者と浮気相手の二人はアパートの入り口から移動した。吉村はほっと一安心した。二人を追いかけてアパートの敷地内に入っていく。彼女の部屋は一階のようだが、二人は一階の内部の様子をうかがっている。部屋に入る瞬間を撮影するため、吉村はビデオカメラを回しながら、意気揚々と追う。ところが、二人は部屋の前で雑談を始めた。内廊下まで響き出した吉村は、対象者と目が合ってしまう。冷たい緊張が背筋を走っていく。吉村は二階の住民のフリをして階段を上っていったが、男は血相を変えて追いかけてきた。
「お前、撮ってたんだろ?」
「いえ、撮ってないです」
対象者は確信していたのだろう。尾行されていることに気付いて、部屋には入らずに様子を見ていたのかもしれない。男は逃げられないように吉村のベルトをつかんでいる。吉村は必死になって言い訳をする。どういう言い訳をしたかは覚えていないが、適当なことをいってごまかそうとした。
そのうち、男のベルトを持つ手が緩む瞬間があった。吉村はその隙を逃さず、男の手を振り切って逃げ出した。
相手は三〇代の男であり、少なからず酒が入っている。小さい頃からサッカーでなしした吉村は、「絶対に逃げ切れる」と、足には自信を持っていた。しかし、吉村の頭の中はパニックで真っ白になっている。来た道を戻ればよかったのだが、反対方向に走ってしまったのだ。最初の角を曲がると、そこは袋小路だった。
「警察呼ぶぞ、こら!」と怒鳴られ、吉村は再び囚われの身となった。絶対絶命のピンチに陥り、吉村は自分が探偵であることを白状してしまう。しかも、撮影した動画のデータもその場で削除させられた。探偵の命を破ってしまったのである。
「自分は探偵だとはいってはいけないし、カメラの映像も見せてはいけないんです。そのときの僕は未熟だったので、探偵だということを白状した上に、撮っていた映像を対象者の目の前で消しました。示談というか、その場を早く終わらせたい一心で……」
人は追い込まれると、すべてを吐き出して、ラクになりたいものである。正直に白状すれば、許してもらえるだろうと考える。暴力を振りかざされた吉村は、すぐに白旗を上げた。証拠の映像を消したこともあってか、男は一定の理解を示して、妙に打ち解けてきた。対象者の男は「誰からの依頼か?」としつこく聞いてきたが、吉村は「それだけは勘弁してください」と最後の砦だけは死守した。仲良くなったとまではいかないが、「もう遅いですから、終電で帰りましょう」と笑い合って終わらせようとした。
しかしながら、けたたましいサイレン音を撒き散らせて、パトカーがやってきた。吉村と対象者のやり取りを見ていた住民が警察に通報したのである。対象者と話がまとまって帰宅できるはずが、警察に事情を説明しなければいけなくなった。結局、車で移動しているもう一人の探偵に拾ってもらって帰宅することになる。
「発覚後に、なぜ、帰ることに固執していたかというと、吉村は次の日に始発の新幹線に乗って
名古屋に行く予定があったからだ。SNSで知り合った名古屋の女の子と会う約束をしていたので名古屋に行く予定があったのだ。出会い系サイトが廃れてしまったが、吉村の女性を求める病はSNS上で細々と続いていた。証拠を押さえられず悔しい、という気持ちが焦る気持ちがあるので、吉村は動揺した。
結局、仮眠程度しか取れず、早朝に乗る込んだ新幹線の中で、吉村は爆睡した。
ちなみに、名古屋の女の子とは、好きなバンドのファンという繋がりだった。同じ音楽の趣味の繋がりで、吉村の地元の地元を案内して欲しいと頼んだのだったが、たまたま彼女が吉村の地元を旅行しただけで、思わずコメントをしたのだった。それをきっかけに、音楽の話などのやり取りをして、仲良くなっていった。その日の会うのは二回目だった。男であれば誰でも浮き立つ状況に違いない(探偵に成り立ての頃に付き合っていた彼女とは、彼女の就職を機に別れていたそうだ)。
この話には、後日談がある。
調査は、対象者が警戒するようになったこともあり、完全に行き詰まっていた。吉村の心には、この案件がその後も引っかかっていた。失敗したことほど忘れられず、喉に刺さった魚の骨の違和感のように気になってならないものだ。
別の調査で秋津の近くまで行ったときのことだった。調査が終わって帰ろうとしていると、ふと気になって、一悶着あった浮気相手のアパートに車を走らせたのだ。今にも太陽が昇りそうな夜明け前の静かな時間だった。眠い目をこすり、疲労を覚えながら、期待せずに様子を見に行った。少しだけ遠回りして家に帰るくらいの軽い気持ちだった。
ところが、アパート近くのコインパーキングに対象者の車が止められていたのだ。正体がバレた日は電車移動だったのだが、他の日は車移動が多く、車種とナンバーは把握していた。吉村はすぐに上司に連絡して、他の探偵が駆けつけた。そして、対象者がアパートから出てくるところの撮影に成功したのである。このときばかりは、吉村は〝持っている〟探偵だった。
探偵という職に魅力を感じていた吉村に辞める理由を聞いてみると、体力的にキツイからだという。今まで仕事に行きたくないと思ったことはないといっていたが、それは精神的なものであって、肉体的なキツさは別のようだ。深夜までの残業が続いて寝不足だと、誰でも会社に行きたくない。また、業務に慣れてきたのも一因かもしれない。経験を重ねるうちに、調査に対する刺激が弱まるのは想像に難くない。少なくとも、睡眠不足の身体で活力を与えるほどの栄養剤ではなくなったのではないだろうか。
探偵がどれくらい大変なのか、最近のスケジュールで教えてもらった。
三月一日 一〇時~一四時、一六時~一九時
三月三日 休み
三月四日 一二時~一六時半
三月五日 八時半~一四時半、八時~一三時半
三月六日 八時半~二時
三月七日 休み
三月八日 一〇時~一九時
三月九日 八時~二〇時
三月一〇日 七時~二三時(翌日の朝五時)
三月一一日 七時~一四時
三月一二日 七時~一四時半、八時~二五時(翌日の二一時)
一日でシフトが二回組まれているところは、別の案件の現場である。空き時間があるように見えるが、移動時間と下見の時間も含まれている。単純に勤務時間だけを見ると、それほどハードではないように見えるが、不規則な勤務時間であり、ときには朝まで徹夜の日もある。緊張を強いられる時間も長く、精神的な疲労もかなり蓄積されるに違いない。
二八歳の吉村にとって、今はまだ体力的にも耐えられるかもしれないが、長く続けられるのか不安になるのは当然のことだ。二〇年後は可能でも、二〇年後、いや一〇年後はどうだろう? と、吉村はこの仕事で生涯を続けていけないですよ」といったが、そのときの吉村の表情が気になっ
た。何かを隠しているような気がしたのだ。
「忙しい日々から解放されたい、というのもあります」
忙しい日々と忙殺されているのと、目の前にある業務をこなすことが精一杯で、現在の自分の状況、将来のことなど、大事なことを考える余裕がない。時間に心に余裕がないと、仕事の意義や人生の意義といったことに頭は回らず、忙しいほど仕事があるのはいいことだが、今の吉村には忙しい日常から離れる時間も必要だった。
他にしたいことは見つかっていないが、吉村はまず探偵を辞めることにした。吉村は、行き詰まったら、迷わずリセットボタンを押せる。大学を中退したときも、実家のニート生活から抜け出すときも、コンビニのアルバイトを辞めるときも、後先考えずに一度ゼロの状態に戻すことができた。
良いか悪いかは別として、普通の人間はこれができない。次の働き口が決まっていない、何も目標が定まっていない状態で仕事を辞めるのは難しい。何も考えずにただ現状から抜け出して、その先のことは後でゆっくりと考える。遠回りをしているように思えるが、長い人生で見ると有意義な時間であり、近道になる場合もある。
吉村がそこまで考えているわけではないだろう。ただ現状の息苦しさから逃れたいだけかもしれない。その逃避の理由について、吉村は次のように話していた。
「探偵を三年半ほどやって、僕もかなり変わったと思うんですよね。でも、自分はその変化を実感できないんですよ。浮気をしている人を毎日のように追いかける。それが日常になってしまって、感覚が麻痺しているような感じです。一旦、自分を見詰め直したいんです」
非日常の世界で暮らしていると、それが日常になってくる。自分の気持ちが、非日常の世界に埋もれていく怖さを感じるのかもしれない。これ以上加速する前に、ブレーキを踏まなければいけない。自分が自分でいられる世界にとどまるために。
吉村は、声のトーンを少し小さくして、もう一つ理由を教えてくれた。
「正直にいうと、プライベートを優先したいんですよね。休みも融通が利かないですから、あまり友だちとも会えていないし、女の子とも遊べない。仕事とプライベートを両立するのが理想ですが、探偵業は難しいですね。この業界、結婚している人は少ないって聞きますし……。やっぱり一度考え直したいってことですかね」
こちらの理由が本音かもしれない。体力的につのいのも、自分を見詰め直したいというのも本当のことだろう。ただ、本音は女の子と遊ぶ時間がほしいのではないだろうか。吉村の話を聞いていると、彼の中での優先順位は、常にそれが一番であると感じた。先ほどの吉村は、女の子と遊びたいという不純な自分に対する羞恥心を隠していたのかもしれない。
話を聞いた他の探偵も、途中で一度探偵業から離れている人が多かった。最初は興味本位で飛び込んだ探偵という職業だが、慣れてくるにつれ疑問も生まれてくる。ときには修羅場を目の当たりにすることもある。依頼者のためではあっても、人を不幸に陥れているのではないかと悩むような
条件もある。多くの探偵は悩み、立ち止まる。そのまま去っていく者もいれば、自分なりの意義を見つけて戻ってくる者もいる。
どんな職業であれ、三〇歳手前というのは、そういう年齢ではないだろうか。探偵という職業は、よりその傾向が強いのかもしれない。探偵は、誰かの隠し事を暴く仕事である。揺るぎない信念がなければ、気持ちの悪さがつきまとう。怨念のような違和感を振り払うために、吉村は探偵を辞めるのかもしれない。
吉村は世の中の違和感に敏感だった。大学を出て就職することに違和感があった。初体験までは簡単に女性とエッチすることにも違和感を覚えていた。コンビニの傍若無人な客にも違和感があった。プライベートを犠牲にして仕事を優先する生活にも違和感を覚えた。違和感と向き合うのは、正直しんどい。気にしないで済むなら、もっとラクに生きられる。吉村は、至るところに潜んでいた違和感を無視せずに正面から対峙することで、自分の存在価値を見出そうとしているようだった。
インタビュー中に「俺は他のやつらとは違うぞ」といったプライドを滲ませていたのは、それゆえではないだろうか。
最後に、これからどうしたいか聞いてみた。
「まだ、何も考えられないです。また探偵の仕事をするかもしれないし、実家に帰ったほうがいいかな、とも思っています、長男ですから……。うーん……、強いていうなら、音楽が好きなので、
曲を作ったり、バンドを組んだりするのもいいかもしれないですね。面倒くさがり屋なんで、わからないですけど……」
探偵を辞める悲壮感も、新しいことに挑戦しようとする高揚感もなかった。周囲の目を気にしながら淡々と自分の内部まで話してくれた吉村は、空気を読む若者らしい器用さを持ちつつも、自分の欲を優先する逞しさも併せ持っていた。根は臆病でありながらも、見知らぬ女性と会ったり、スパッと仕事を辞めたりする大胆さもある。
吉村は今後も、相反する二つの感情に振り回されながら、自分を模索する旅を続けるのだろう。いずれ確固たる自分の価値観を見つけて、影響力のある人間になっていくのではないか。そう感じさせる男でもあった。
取材した日から三年近くが経過した。その後、吉村が何をしているのか気になっていた。原稿の確認で連絡を取った際に聞いてみたいと思っていた。しかし、メールのやり取りだけで、電話で話をすることはかなわなかった。
メールには「ちょっといろいろあるので、すみません」と書かれていた。余計気になったが、彼にも事情があるのだろう。私は、いつか話ができる日がきたら、教えてください」と書いて送信ボタンを押した。
その理由が知りたかった。仕事を辞めるという節目には人間らしいストーリーが存在し、生々しい心の軌跡も生じる。その決心の背景に探偵という仕事の本質が隠されているのではないかと思ったのだ。
私は、会社からリストラを言い渡されたことも、倒産で職を失ったこともある。どちらの場合も、現状への不満、将来に対する不安と微かな期待など、さまざまな思いが錯綜し、自分のことを真剣に考え直すきっかけになった。良くも悪くも、人生の転換期であったことは間違いない。
三月二九日の午前一〇時、新宿歌舞伎町近くのファミリーレストランで取材に応じてくれる探偵と待ち合わせをしていた。探偵を辞める者の取材場所としてファミレスは適していたのだろうか。答えにくい話題まで掘り下げていく可能性を考えたら、人目に触れない場所が好ましいのではないか。そういう思いもあったが、取材場所は相手からの指定だった。仕事上、都合がよかったのだろう。
新宿駅の東口から地上に出て、スタジオアルタ前に出る。「新宿随一」の待ち合わせ場所は、朝の一〇時でも人でごった返していた。大学生や高校生といった若い人が多いのは春休みだからだろう。
スタジオアルタを通り過ぎてABCマートを左に曲がり、石畳で整備されたモア4番街を歌舞伎町方面に向かって進む。大きなトラックが何台か止まっていた。朝の時間帯は商品を運搬する業者が多数出入りしている。片側四車線の靖国通りを渡って左に向かう。左側に見えてきた新宿ゴールデン街の入り口を少し過ぎたあたりに指定されたファミレスがあった。
待ち合わせの一〇分ほど前に着いたが、店内は空いていたので、エントランスで待つことにする。店員さんに「お一人ですか?」と声をかけられたが、三人で待ち合わせであることを伝え、その場で待つことにする。
これから取材する探偵の名前は吉村直樹。二十代後半の男性である。三十歳手前というのは、悩みの多い時期だ。ある程度仕事に慣れてきた頃で、自分の状況を客観的に見渡せるようになる。将来の自分、これからの仕事、そして結婚を含むプライベートなど、あらゆる人生の悩みが荒波のように押し寄せてくる。まだ別の道を歩める可能性が残されている分、悩みや迷いも多い。今とはまったく違う職業に就くことも可能で、人生をやり直せる、ギリギリの年齢でもある(本当にやり直せるのかは本人次第でもあるし、どれほど時を取ってもやり直せる人もいる)。
その三〇歳手前で、吉村は決断しようとしている。探偵になった年齢はわからないが、もう中堅の域に入っているのではないか。紹介時の簡単な説明では、新米ではない様子が窺えた。探偵の仕事に憧れてきた吉村は、将来の自分を想像したに違いない。ロールモデルとなるような憧れる先輩が身近にいなかったのだろうか。四〇歳、五〇歳になった自分が探偵として活躍している姿を思い浮かべられなかったのではないだろうか。肉体的にも精神的にもキツい探偵を何十年も続けるためには、確固たるモチベーションが必要だ。多くの探偵が、三〇歳前後で自分の人生を見詰め直し、ある者は決意を新たに探偵道を突き進み、ある若き探偵業者から去っていく。
探偵を辞めるという吉村に会うにあたり、そんなことを思い描いていた。初めて会う人物の取材では、相手のことを想像してしまう。真面目なタイプだろうか、話しやすい人柄だろうか、無口なのだろうか。あらゆる可能性を想像して、意味もなく緊張する。十数年取材を続けてきたが、初対面の者と対峙する前の緊張感だけは変わらない。ただ、その緊張感を黙らせて、相手に悟られないようにするすべだけは身についた。
緊張がピークを通り越して、疲労が顔を出してきた頃、吉村らしき人物が店に入ってきた。身長は低めではっそりとしている。顔は整っているが、地味な印象もあり、少し神経質そうに見える。ジャケットにチノパンという目立たない服装だ。探偵の制服ともいえるほど、定番の格好だった。「吉村さんですか?」と相手を確認して、こちらの名刺を渡す。吉村は「名刺は持っていなくて……」と、頭を下げながら名刺を受け取った。
これまでに何人もの探偵に会ったが、誰も名刺を持っていなかった。新人とまだ名刺を持たされていないこともあるが、何年も探偵をしている者でも持っていない。聞いてみると、正体を知られたくないこともあるが、悪用されないためでもあるという。人を脅したり、詐欺まがいの犯行に及ぶ可能性を危惧しているのだ。そういえば、これまでに何人かの警察官と出会ったことがあるが、誰も名刺をもらったことがない。同じような理由があるのかもしれない。
店員に案内されたボックス席に向かい合って座った。先に注文をして、取材の意図を伝える。あらかじめ聞いていたのだろう。吉村に戸惑いはなかった。シャイな性格なのか、口数は少なく、分からずじまいだった。
分からず話すことは少ないが、こちらの質問には答えてくれる。決してコミュニケーション能力が低いというわけではなさそうだ。周囲を気にしながらなのではあったが、話しにくいこともためらわなかった。歌舞伎町のファミレスを指定してきたのは、ざわついた店のほうが話しやすかったのかもしれない。まわりの人たちは、誰もこちらを気にしてしていなかった。
辞めるのは今月末だという。取材を行ったのは三月二九日(二〇一九年)だったので、吉村はあと三日で探偵を辞めるということだ。
吉村直樹は、一九九〇年生まれの二八歳。取材当時は岡山県の出身。小学校三年生くらいのときにサッカーを始めた。できたばかりの地元のクラブチームに入ったのだが、サッカーに興味があったわけではなかった。人数が足りないという理由で、近所の同級生から誘われたのだ。
きっかけは何であれ、吉村はサッカーに夢中になり、毎日ボールを蹴るサッカー少年になる。運動神経もよく、チームではフォワードを任された。点取り屋であり、エースでもあった。ただ、チームはそれほど強くなかった。
サッカーは高校卒業まで続けた。サッカー部のない高校に進学したため、同じクラブチームでプレーを続けた。高校でサッカー部を活動したが、実現することはなかった。
岡山県の山間にある実家は、祖父の代まで農業を営んでいた。父親は会社員で、家は貧しいというわけではないが、裕福でもなかった。大学に進学できないほどではないが、私立大学は親の負担も大きいと考えた。田舎の町だったため、どこの大学にしても下宿になる。私立大学で下宿代もかかるとなると、年間の負担額は二〇〇万円を超えるだろう。四年間通うとなると、一桁違ってくる。
本人が決めれば、親からいわれたのかは定かではないが、吉村には国立大学しか選択肢がなかった。その状況はよくわかる。私も同じで、私立大学に進学することは頭になかった。しかも、通える範囲内にある国立大学だけだったので、幸い、京都市内に住んでいたため、選択肢はいくつかあった。京都、大阪、神戸あたりまでなら通学可能だ。場所によっては、滋賀や奈良も通学圏内。
全国の国公立大学に目を向けるため、吉村は選択の幅が広がったはずだ。
「僕はどちらかというと、ひとりでも行動的じゃないんですよ。なので、地元から離れるのが怖いというか、不安というか……」
吉村は地元、岡山大学への進学を希望していた。小さい頃は勉強もできたが、高校に入って学業をおろそかにしたため、岡山大学には到底合格できそうにない。浪人も考えたが、年子の弟と同じ学年になるのも嫌で、現役で行けそうな大学を探した。地元を離れての下宿にはなるが、同じ中国地方の鳥取大学であれば、距離的にも近く、合格の可能性も高かった。
吉村は、鳥取大学工学部に無事入学。鳥取での一人暮らしが始まる。大学でもサッカーをしようと思っていたが、アルバイトが忙しく、サッカーをする時間がなかった。親からの援助と奨学金もあったが、生活費の大半は自分で稼ぐことにしたのだ。親に負担をかけたくない思いが強く、最低限の仕送りしかもらっていなかった。
ホームシックもひどかった。このくらいの年齢の男子は、少なからず親元を離れたいものだが、吉村の人で、新しい世界に飛び出したい願望や、生活に対する不安や心配よりも大きくなることはなかった。
「高校時代は一人暮らしなんて想像すらし ていなかったですし、実際にしてみると寂しいというか、不安に押しつぶされる感じだったんですよ」
夏休み前に、ようやく同じ学部の数人と親しくなった。人当たりは悪くなく、誰とでも話せるのだが、広く浅い関係ではなく、狭く深い友人関係を望んでいたこともあり、友人は慎重に選んでいた。ホームシックは克服した。誰でも友だちになりたいわけではないのだ。
トの日まで、大学生らしい楽しいことはほとんどなかった。サークルにも所属せず、工学部は男子ばかりで、女の子と知り合う機会もなかった。
三年の夏、吉村は大学を中退することを決意する。
「単純に大学が嫌だったというのもあるし、仮にあと半年頑張ったとしても、意味があるのかな、と思った。
と思ってしまう……。大学を出ていると就職に有利といわれるけど、僕、ひねくれているんで、そういうのに違和感があって……。卒業して普通にしかないと思ったら、残りの一年半、自由とダラダラしたほうがいいと思ったんですよね。親には迷惑をかけるけど、それ以上に中退することに重要なものがある。
意味がわからないと思うが、中退経験のある私には、いいたいことがなんとなくわかる。
私は大学では物理学を学び、大学院で惑星科学を専攻した。修士課程では太陽系が生まれた過程を研究したが、博士課程では惑星探査機を製作する部門に鞍替えした。楽しそうな研究に見えるかもしれないが、そう単純でもない。
まず、すべての学生が将来、研究職に就けるわけではない。研究のポストは限られており、無職になる可能性も高い。実際に、博士号を取得したにもかかわらず、どこにも所属できないオーバードクターと呼ばれる人も溢れていた。
私がほんの少しだけ関わったのは、水星に行く予定の探査機だったのだが、打ち上げ予定は一〇年後といわれていた。当時二六歳の若者にとって、一〇年という時間は長かった。一つのことに一〇年も費やせるほど、盲目になれなかった。朝九時に研究室に行き、夜遅くまで研究し、家に帰ってもその課題の課題をこなす。睡眠時間は四時間くらいしかないのに、給料が出るわけでもなく、憂鬱という名の怪物を積み重ねてやる意味を見出せなかった。
ちなみに、JAXA(宇宙航空研究開発機構)とESA(欧州宇宙機関)の共同プロジェクト「ベピコロンボ(BepiColombo)」は、そのときから一六年後の一二〇一八年一〇月二〇日、フランス領ギアナの宇宙センターから打ち上げられた。ベピコロンボには、二つの探査機が搭載されている。そのうちの一つが、JAXA担当の水星磁気圏探査機「みお」だ。今後、水星周回軌道上で切り離され、水星周辺の磁場を計測したり、水星の表面にある希薄な大気などを観測したりすることになっている。水星の周回軌道に到着するのは、さらに七年後の二〇二五年一二月の予定である。
二〇〇二年月、世の中が日韓ワールドカップで盛り上がっている頃、私は大学院を辞めることを決意した。日本の快進撃に浮かれている世間を尻目に、私は暗い穴に逃げ込んでいた。その言葉どおり、研究室にも行かず、家の中に閉じこもっていたのだ。
世の中と自分の置かれている立場の違いからだった。自分のまわりだけ、生ぬるい水の中にいるような重苦しさと息苦しさが漂っていた。この状況を抜け出すためには、現状をゼロに戻すしかなかった。
吉村も同じような思いだったからわからないが、似ている部分もあるのではないだろうか。破滅願望とまではいかないがゼロからやり直したい思いは誰にでもある。迷路に行き止まりにぶつかったら、後戻って別の道を探すしかない。先の展望がなかったとしても、今の状況から抜け出すことが優先事項なのである。
大学を辞める決意をした吉村だったが、親からはもちろん反対された。何度も説得されたが、吉村自身の意思を曲げるつもりはなかった。
最終的に、まずは大学に行くことになった。休学中の授業料はかからなかったからだ。両親としては、半年休んだら、また大学に行きたくなるかもしれないと思ったのかもしれないが、半年と経った二月末になっても、吉村の気持ちに変化はなく、退学届を大学の事務所に提出した。
「僕は、ゼロか一〇〇みたいな性格なので、スパッと辞めたんですけど……。親に説得された等で納得があってもいいかなと、休学することにしたんです。でも、やっぱり変わらなかったですね」
大学を中退した吉村は、岡山の実家に戻った。その半年後に再び実家を出ることになるのだが、その半年間は、おそらく吉村の人格形成、人生の価値観に多大な影響を与えたであろう。とても重要な期間になる。
開かれたくない過去なのだろう。人づてに聞いた話もある。不意にそういった過去を話せるようになる。おそらく、自分の恥部を見られる恥ずかしさと自分一人で抱え込んでいる秘密を開放したいという思いが同居しているのだろう。
吉村は少し思い出すように、出会い系サイトで遊んでいたことを告白した。二歳の男子であれば、誰でも女の子と遊びたい、遊びたい気持ちを健全であるけれど、不特定多数の女の子と遊びたいとなったら、大きな声ではいえない。世間は、いかがわしいものを見るような目に変わる。
大学時代は工学部だったこともあり、女の子との出会いはほぼ皆無。大学を中退するまで、吉村は女の子と付き合ったこともなかった。モテないようには見えないが、人よりもシャイな性格が邪魔をしていたのだろう。
「高校時代とか、好きな子とか気になる子はいましたが、周囲の目を気にしていましたね。そこまでして付き合いたいとは思わなかったです」
三年の春、大学に退学届を出した直後、吉村は異性と初めての経験をした。相手は、高校時代に仲が良かった同級生だった。
彼女から、久しぶりに森林会わないか、という内容のメールが届いた。何度かやり取りをしているうちに、なぜか会う前に付き合うことになった。なぜ付き合うことになったのか、吉村はよく理解できていなかったが、相手は付き合うという形にこだわっているようだった。彼女の圧に押された形だったが、吉村に断る理由はなかった。
吉村はまだ鳥取市に住んでいたが、彼女も岡山市で会う約束になった。彼女は岡山市内の大学に通っていたからだ。鳥取駅から岡山駅までなら、特急スーパーいなばに乗れば、二時間弱で到着できる。
久しぶりに会った彼女は、高校時代とは雰囲気が変わっていた。大学生になり女性らしくなっていて、垢抜けているように見えた。倉敷まで足を伸ばして美観地区を観光してから、岡山市の繁華街である商店街の裏手の古いアーケードをぶらぶらして回った。チェーン店の居酒屋で食事を済ませた後、彼のすぐ先に彼女がいた。
初対面の二人のその部屋は、男兄弟しかいない吉村にとって未知なる空間だった。家具やカーテン、雑貨の色使いも違えば、自分の部屋にはない可愛らしい小物がたくさん置いてある。見える物だけではなく、漂っている匂いや空気まで違う。
吉村と彼女は裸で抱き合った。二人とも、初めてだった。
翌朝、吉村が目覚めたとき、彼女の様子が昨日とは微妙に変化していた。少しよそよそしく感じられたのだ。今にして思えば、昨夜の彼女は無理して明るく振る舞っているようだった。童貞を卒業したばかりの吉村は、そのことにあまり気を配れず、彼と別れて鳥取に戻った。鳥取の下宿を引き払うためである。その後、彼女にメールをしても、そっけない返事があるだけで、そのうち返信すらなくなった。
高校時代は多少なりとも僕に好意を持ってくれていたのでしたが、そのときはちょっと違っているように感じました。確信はないですけど、遊ばれたような気がします。ひょっとしたら、彼女はメンタルが弱いところもあったので、寂しさを埋めたかったのかもしれません。看護の勉強でストレスがたまってたんじゃないでしょうか……」
吉村も彼女も純朴だったのだろう。互いに貞操観を持っていたのかもしれない。結婚するま
では、というほど強い思想でなくても、「最初は好きな人と」と考えていた可能性は高い。会う前に付き合うことにこだわった背景には、そういった事情があったように思われる。「付き合っているのだから、エッチしてもいい」と、自分に対する言い訳も含まれていたはずだ。
吉村は傷いたが、「そういうものか」という思いのほうが強かった。これまで大事にしていたものがそうではないと気付いた瞬間だった。長年抑制されていた欲望は、壊れた蛇口のように、四方八方に勢いよく噴き出し始めた。吉村が出会い系サイトにのめり込んだのは、それからだった。
手っ取り早く、そして後腐れなくセックスができると考えたのだ。実家に戻って何もすることがなかった吉村は、ほぼ一日中スマホで出会い系サイトを眺めて時間を潰した。
出会い系サイトで書き込みをしたり、めぼしい相手にメッセージを送ったりする。中には「会いたい」と思わされながら、あれこれ理由を付けてやり取りを引き延ばし、ポイントのために課金させる〝サクラ〟と呼ばれる女性も多い(女性のフリをしている男性もいる)。アルバイト感覚でサクラをしている者も多く、出会い系サイトの運営会社から報酬を得ているのだ。他にも、援助という名の売春交渉をしてくる者や業者もいる。しかし、毎日何時間もサイトを見ていると、サクラか業者か、援助目的のかといった判別できるようになる。
大学を中退したばかりでアルバイトもしていない二歳の男では、潤沢な資金を持っていない。奨学金の残りでなんとか生活していたが、それもいずれ返さなくてはいけない借金である。無駄な課金もしなくてよければ、一回の行為で三万円も三万円も払うことなどできない。単にエッチがした
い希少な女の根気よく探すしかない。幸い、時間だけはたっぷりとあった。
女性と会うためなら、吉村は広島でも島根でも車を走らせた。片道だけで二時間、三時間かかっても平気だった。時間を同じように、女性への興味と性欲も溢れるほどにあった。約束の時間まで余裕があれば、高速を使わず、ひたすら下道を走った。女の子と合流してもホテルには行かず、その子の家まで行くか、市の中で待ち合った。気が合いそうな女の子もいたが、吉村は後腐れのない〝大人〟の関係を保った。
「その頃は、よくないんですが、ある程度のことはできたら、もういいやって感じでした。本当にいい人がいれば、また違った関係もあったんでしょうけど、だいたい住んでいる場所も離れていますね。一回きりの関係ばかりでした」
二歳の春から秋にかけて、吉村は出会い系の世界で生きていた。これまでの遅れを取り戻すかのように、オスの本能がままに行動した。吉村が望んでいたとおり、ダラダラとした生活を送っていたわけだが、そんな時間が長く続くと、新たな不安が顔を出す。
「出会い中心の生活が、いつ終わるんだろうというのもありましたし、やっぱりこのままニート生活というのもよくないと思い始めたんです」
会う約束を取りつけたとき、実際に女の子に会えたとき、そして欲望が満たされたとき、脳内には大量のドーパミンやドーパミンが分泌される。出会い系に中毒性があるのか、見知らぬ異性との関係に中毒性があるのかはわからないが、一度ハマるとなかなか抜け出せない。将来に対する不
安と、一回だけの関係という背徳感に浸かりながら、吉村は出会い系サイトの中毒から逃れられずにいた。
一〇月一日、吉村は二三歳になった。
「この日、吉村は決意した。新しい環境でやり直そう」と。「東京に行って、仕事を見つけよう」と重い腰を上げた。その日のうちに、岡山駅に行き、東京行きの夜行バスに乗った。両親は驚いていたが、反対はしなかった。半年間もニート状態だったので、自ら行動を起こしただけでも嬉しかったのかもしれない。少しではあるが、現金も持たせてくれた。
夜行バスの中で、これからのことを考えていた。何をしたいのかはまだわからなかったが、東京は何かがあり、自分の知らない世界が広がっているように思えた。高速道路をひた走るバスが、どこか知らないところへ連れて行ってくれる。希望や期待があったが、同時に不安もあった。
次の日の早朝、吉村を乗せた夜行バスは東京駅八重洲南口に到着した。ほとんど眠ることができず、「一〇時間近くもかかった」「もう二度と乗りたくない」というくらい、疲労感があった。夜行バスを降りてから、JRで新宿に行き、小田急線に乗り換えて下北沢に向かった。
吉村は、東京に行くなら下北沢と決めていた。アジアン・カンフー・ジェネレーションといった日本のロックが好きだったこともあり、東京イコール下北沢(シモキタ)という印象があったのだ。シモキタには、有名なバンドがデビュー前にライブを行っていた伝説のライブハウスが多数存在する。
高円寺と並び、シモキタはバンドマンの聖地なのだ。
その日は一日中、シモキタを歩き回り、シモキタのネットカフェで一晩過ごした。シモキタにいるというだけで、新鮮な気分だった。昨日はまだ岡山の田舎にいた自分が、今は憧れのシモキタにいる。そう考えるだけで気持ちが高揚していた。
翌日、住む場所を見つけるために不動産屋に行った。ところが、予算の四万円以内で住める物件は、シモキタにはなかった。地域を都内に広げて探してもらうと、板橋にユニットバス付きの物件が見つかった。すぐに内見させてもらうと、古いアパートの一階で、きれいとは言えなかったが、静かな場所だった。払えがなく、敷金も一カ月分だけだったこともあり即決。審査が下りて契約書を交わすまではネットカフェで過ごし、三日後に賃貸契約が締結されてから引っ越した。引っ越しといっても荷物はリュック一つしかない。ほぼ手ぶらだったため、最初の二週間はフローリングの上で寝ることになった。
「寒すぎて寒すぎて、死ぬかと思いました。カーテンすらない、人があまり通らないところだったんで関心ないんですけど」
その後、寝床など必要最低限のものは実家から送ってもらった。吉村は今も、その家賃四万円の板橋のアパートで暮らしている。
部屋が決まれば、今度は職探しである。すぐにでも働き始めないと生活ができないため、手っ取り早くコンビニでアルバイトをすることにした。大学時代に経験があったからである。近所のコン
ビニで、主に深夜のシフトに入った。鳥取は全国的に見てアルバイトの時給が低く、東京の時給の高さに驚いたが、東京は物価も高かった。
コンビニのバイトは、一年ほど続けることになる。その間、正社員の職を探そうとは思いながらも、なかなかやりたい仕事を見つけられなかった。いや、真剣に見つけようとしていなかった。
二年続けてコンビニを辞めたのは、オーナーから「正社員にならないか」という誘いがあったからだ。アルバイトであれば、どんな仕事でもかまわないが、正社員となれば話が変わってくる。吉村は、なぜだかコンビニの仕事にプライドを持てなかった。
「毎日、いろんな人を見るわけじゃないですか、言葉は悪いですけど、頭の悪そうな客がいっぱいいて、コンビニの店員を完全に見下しているんです。そういうのって、ちょっと違うんじゃないかと思ってたんですよ。コンビニで正社員になるつもりはなかったです」
箸が入っていなくて「箸、入ってねぇぞ!」と怒鳴られたり、弁当を電子レンジで温めたとき「温めすぎだろう!」とクレームをつけられたりする。弁当を温める時間は決められているし、熱いかどうかの感覚は人それぞれである。吉村にとって、それはストレスがたまることだった。こういったことから、下に見られたくなかったという。
吉村はプライドが高かった。小さい頃から勉強もスポーツもできた。ほとんど勉強しなくても国立大学に合格できた。中退してしまったが、それもまわりの同級生とは見ているものが違ったからである。機械工学の勉強をして、卒業後はそれを押したようにメーカー企業の研究職に就く。レール
に敷かれた人生を歩みたくない。吉村のプライドが許さなかったのだろう。オーナーからの誘いを断った吉村は、アルバイトも辞めることにした。
東京に出てきても、吉村の出会い系中毒は治まっていなかった。前ほどの執着はなくなったが、暇な時間があると、どうしてもサイトにアクセスしてしまう。田舎よりも東京のほうが女性からのカキコミ件数が多く、新しいカキコミがないか、ついチェックしてしまうのだ。
コンビニのバイトを辞めた頃、吉村は茨城県に住んでいる女の子と知り合った。彼女はまだ大学生だったが、バイトを辞めたこと、再び無職になったことを優しく理解してくれた。週末にはわざわざ東京まで来てくれて、いつの間にか付き合うようになった。
真剣に思える彼女ができると、男の本能にスイッチが入る。「獲物を仕留めなくては」という大きな狩猟の本能は、現代では「金銭がなくては」という仕事本能にすり替わっている。吉村も彼女のために正社員の仕事を探すことにした。
真剣に探偵という興味が、探偵という文字面に惹かれたのだった。
「僕、割とそういうところがあるんですよ。デザインに惹かれるというか、直感で決めてしまうことがあるんですよね。ただ、物騒というか怖いイメージもありました」
募集していた探偵社は、知名度も規模も大きなところだった。吉村が探偵に興味を持った
二〇一四年、どこの探偵社も人手が足りない状況だったという。運転免許証とやる気さえ持っていれば、簡単に探偵になれたそうだ。研修期間は設けられていたが、それは現場で先輩を見て学ぶというスタイルだった。入社した次の日、吉村は早くも現場に送り込まれた。
直接、患者の役場に向かうと、初対面の先輩が一人いた。一人は二〇代半ばくらいの人だった。もう一人は三〇歳くらいの若い男だった。ベテラン先輩と吉村が一緒に行動し、若い探偵はバイク担当だった。初めての調査は、典型的な浮気調査。恵比寿のイタリアンレストランで対象者が現れるのを待つところからスタートした。
妻である依頼者からの情報で、その店を予約していることがわかっていたのだ。対象者は四〇代で中小企業の取締役。自由に使える金も多い。タクシー移動も予想されるため、バイクでの尾行も想定しての布陣である。
レストランの前で張り込んでいると、情報どおりに対象者が現れた。時間差で浮気相手と思われる女性(三〇代後半くらい)も入店していく。
二時間ほど張り込んでいると、二人は一緒に店から出てきた。少し周囲を警戒している様子だったが、結局、恵比寿駅西口にあるラブホテルに入っていった。先輩探偵は、その一部始終をカメラに収めていた。吉村は、その姿を後ろから眺めているだけだった。
先輩たちが撮ったこともあり、吉村は不安に駆られた。
「正直いうと、ヤバイ世界に足を踏み込んだんじゃないかって不安になりました。実際に話をし
てみると、すごい普通の人たちだったんですけど、最初は怖かったですね」
毎日同じことの繰り返しに嫌気が差していた吉村にとって、探偵の仕事は刺激的だった。毎回違う人を尾行し、いろいろな場所に行く。コンビニでアルバイトをしていたときとはまるで違った。
吉村には、毎回違う人と違う場所で逢瀬を交わす出会い系に通じる緊張感と中毒性があるように感じられた。
吉村が関わった調査は、ほとんどが浮気調査だった。結婚しているのに他の異性と交わる男女。道徳観に反していると頭ではわかっていても、不貞をやめられない性。浮気調査をする度に、「みんなそうなんだ」という気持ちになるという。
長く女性に対して我慢していた吉村は、不本意な初体験によって一気に目覚めてしまった。一人でも多くの女性とセックスがしたかった一方で、欲望を抑えられない自分に対して罪悪感を持っていた。制御不能な欲望に慄くこともあった。そんな吉村にとって、浮気調査は自分への免罪符になっているのかもしれない。
吉村にとって、探偵の仕事は性に合っていた。アルバイトをしているときは、「今日はバイトに行きたくない……」と思うことが度々あった。誰でも同じだろう。仕事に行きたくない憂鬱な日は必ずある。しかし、探偵の仕事に対して、吉村は一度もそういう日がなかったという。女性との待ち合わせを別とすれば、自称「ひきこもり体質」という吉村にとって、奇跡のようなことだろう。
「今まで、億劫な気持ちになったことがないんですよ。興味のある仕事だからかもしれないです」
知らない他人の生活を覗いたり、知らない世界を垣間見たりすることに、とりわけ興味があった。個人の興味とリンクするところが多く、仕事とプライベートの境を感じない。プライベートの一部が仕事になったようなものだという。それなのに、なぜ探偵を辞めるのか。謎だけが残る。
一方で、吉村は探偵の仕事に怖さも感じている。
「人を尾行するのはいつも怖いですけど、依頼を受けてやっていることですから、悪いことをしているわけじゃないんですけど、尾行していて震えることもあります。もし相手にバレてしまったら、何かされるんじゃないかって……」
吉村は何よりも暴力が恐れていた。痛めつけられる恐怖心が強かったが、暴力ですべてを正当化する理不尽さも許せなかった。すぐに暴力に訴える妻を見下していたが、それに抗えない自分もいた。
吉村は対象者に捕まって怖い経験をしたことがある。
二〇代後半の女性の依頼で、対象者である夫の浮気調査をしているときだった。夫が浮気をしていることはわかっていたが、離婚を有利に進めるために正式な証拠がほしいという依頼である。
実家に帰っている対象者は、浮気相手の家に入り浸っているという。まずは対象者を尾行して、浮気相手の家を突き止めるところから調査を開始。対象者の勤務先に夕方から張り込む。
調査を開始する前は、必ず現場の下見をする。その際、緒調査をする者とは別に下見をするのが探偵の基本だ。マニュアルで教えられるわけではないが、経験的にそのほうが見落としがない「いろんな人の視点で下見をすることが大事なんです。先入観があると、出入り口を見落としたりすることもあるので」
終業時刻になると、ビルの表玄関が閉まるところもある。鉄格子が降りてしまって表口からは一切出入りができないように見えるし、裏口には守衛が常駐している。従業員は裏口から出入りするのだと思い込んでしまうと、ミスに繋がることもある。表口の鉄格子は、内側から開けられる扉がついていて、ビルから出られるところもあるのだ。だからこそ、先入観を持たずに複数の目で下見をすることが重要なのである。下見をした後、軽く打ち合わせをする。互いに気付いた点や対策などを共有し、調査方法を話し合う。
この日の吉村らは、午後四時から張り込みを開始したが、対象者が出てくるのはもっと後だった。事前情報で午後六時半を過ぎないと対象者が退社しないことはわかっていた。万が一に備えて、早めから張り込みを開始してほしいという依頼者の要望だったのだ。もう一人の探偵は、対象者の別の動きにも備えるため、車で待機していた。
「絶対に動きがないとわかっているとき、『俺、何してるんだろう』って思いますよね。正直な話、寝てしまっても問題ないんですが、やっぱり何が起こるかわからないから意識は切らせないですし」
無駄な時間のように感じるが、その時間も調査報告書に記載できる。何の動きもなかったことも一つの成果なのである。そういう意味では無駄な時間ではないが、動きのない現場で何時間も張
り込みを強いられる探偵の気苦労もわからなくはない。
張り込み中、探偵はそれぞれ違う時間の過ごし方をしている。吉村はスマホで飲食店などの情報をを見ることが多い。いろいろな土地に行くため、人気のラーメン店などを探して、仕事終わりに寄ろうかなと思案する。そういったことも、つらい張り込みのモチベーションになるのだ。
「食べ歩きとかが好きですから、常においしそうな店を探していますね。張り込みの時間をどう過ごすかは、この仕事の醍醐味かもしれないです」
吉村も含め、探偵は音楽を聞いていることも多い。先輩の中にはずっとゲームをしている探偵もいるそうだ。「この人、ちゃんと見てるんだろうか」と思っていたら、対象者が出てくる瞬間は絶対に見て見逃さない。ゲームをしながらでも、意識は出入り口のほうに向いているのだろう。中には、何もせずにジッと見ているだけの人物もいる。
浮気調査の話に戻る。情報どおり午後六時半過ぎに会社から出てきた対象者を尾行する。地下鉄丸ノ内線で池袋まで行き、東口を目的もなさそうに歩いていると、電話がかかってきたらしく、誰かとスマホで話し始めた。ニヤけた顔からすると浮気相手だろう。対象者はジュンク堂池袋本店のほうへと歩いている。書店の入り口で立ち止まり、しばらくすると二〇代前半の女性が現れた。後からわかったことだが、この女性は同じ会社の別部署の社員だった。上司と部下の関係である。
二人は車通りのほうに歩いていくとビストロに入っていた。大きな窓ガラスの開放的な店だったため、吉村らは少し離れたところで待機。立ちながらの張り込みになった。暗い外から明るい店
内はほぼ丸見えである。逆に明るい店内から暗い外は見えにくいため、吉村らは数十メートルおきに店内の様子をチェックしに行ける。所在の確認をしながら、まだかかりそうか、もうすぐ出てきそうかといった雰囲気も探る。
探偵の中にも、勘のいい人、要するに〝持っている〟人がいる。吉村の先輩に、まさに〝持っている〟人がいるそうで、その探偵のエピソードを教えてもらった。
彼からの依頼で「彼氏が元カノと暮らしいるのではないか調べてほしい」いう調査だった。
彼氏のアパートの外で張り込みをするわけだが、数日調査をしても女性の出入りは確認できなかった。ところが、その先輩と組んだ日、ベランダに女性の洗濯物が干してあったのだ。いつの間に出入りしたのかわからないが、彼氏の部屋に元カノがいる様子である。アパートの出入り口を張り込みつつ、元カノが姿を現すかもしれないため、たまにベランダを確認しにいく。出入り口から出てきたときの動画よりも、彼氏の部屋にいたという確かな証拠となるからだ。だからといって、ずっとベランダを見張っていたら、アパートから出ていくところを見逃してしまう。
時間おきにベランダの確認に行くのだが、〝持っている〟先輩がふらっと撮影に行ったとき、元カノが洗濯物を取り込んでいる場面に遭遇し、撮影することに成功した。
「一時間おきに経過の映像を撮影するとしたら、僕なら一時、二時というように、ちょうどその時間に行くと思うんですよね。でも、その先輩は関係のない時間にふらっと撮りに行って、成果を出す
んです。他にも今まで一度も動きがなかった現場で、その先輩が担当した日に対象者と第二対象者が接触することが度々あります。持ってますよね」
本筋に戻るが、ビストロから出てきた対象者と浮気相手は、池袋駅東口に戻り西武池袋線の急行に乗り込んだ。吉村が徒歩で追い、もう一人は車で移動を開始した。ひばりヶ丘駅で乗り換えて秋津駅で下車。実家のある駅ではないため、おそらく浮気相手の自宅があるのだろう。その時点で、すでに夜の十時を回っていた。
二人は手も繋いで住宅街の夜道を歩いていく。駅から一〇分ほどの場所のアパートの前で立ち止まる。彼女の部屋に入ると思っていたが、アパートの入り口あたりで長々と立ち話を始めた。会話の内容までは聞こえないが、痴話喧嘩をしているわけでもなく、深刻そうな雰囲気もなかった。秋津から東京駅都内に戻る帰路は午前一時二分発。すでに午後一一時を回っているため、今日は部屋に入らずに帰宅するつもりののかもしれない。
「今日は空振りになってしまうかも」と吉村は考えていた。空振りで終われば、また日を改めなければいけないし、調査費用も嵩むので依頼者の金銭的な負担も増える。浮気相手の家が判明したことは成果の一つではあるが、部屋に入って出てくるところを撮影できなければ浮気の証拠にはならない。「ここまで来たんだから、成果を出したい」と吉村は焦っていた。いや、探偵であれば誰でもそう思うだろう。今日だけでも何時間も追いかけてきたクライマックスである。肩すかしで終わってもいいと思う探偵など、いない。
対象者と浮気相手の二人はアパートの入り口から移動した。吉村はほっと一安心した。二人を追いかけてアパートの敷地内に入っていく。彼女の部屋は一階のようだが、二人は一階の内部の様子をうかがっている。部屋に入る瞬間を撮影するため、吉村はビデオカメラを回しながら、意気揚々と追う。ところが、二人は部屋の前で雑談を始めた。内廊下まで響き出した吉村は、対象者と目が合ってしまう。冷たい緊張が背筋を走っていく。吉村は二階の住民のフリをして階段を上っていったが、男は血相を変えて追いかけてきた。
「お前、撮ってたんだろ?」
「いえ、撮ってないです」
対象者は確信していたのだろう。尾行されていることに気付いて、部屋には入らずに様子を見ていたのかもしれない。男は逃げられないように吉村のベルトをつかんでいる。吉村は必死になって言い訳をする。どういう言い訳をしたかは覚えていないが、適当なことをいってごまかそうとした。
そのうち、男のベルトを持つ手が緩む瞬間があった。吉村はその隙を逃さず、男の手を振り切って逃げ出した。
相手は三〇代の男であり、少なからず酒が入っている。小さい頃からサッカーでなしした吉村は、「絶対に逃げ切れる」と、足には自信を持っていた。しかし、吉村の頭の中はパニックで真っ白になっている。来た道を戻ればよかったのだが、反対方向に走ってしまったのだ。最初の角を曲がると、そこは袋小路だった。
「警察呼ぶぞ、こら!」と怒鳴られ、吉村は再び囚われの身となった。絶対絶命のピンチに陥り、吉村は自分が探偵であることを白状してしまう。しかも、撮影した動画のデータもその場で削除させられた。探偵の命を破ってしまったのである。
「自分は探偵だとはいってはいけないし、カメラの映像も見せてはいけないんです。そのときの僕は未熟だったので、探偵だということを白状した上に、撮っていた映像を対象者の目の前で消しました。示談というか、その場を早く終わらせたい一心で……」
人は追い込まれると、すべてを吐き出して、ラクになりたいものである。正直に白状すれば、許してもらえるだろうと考える。暴力を振りかざされた吉村は、すぐに白旗を上げた。証拠の映像を消したこともあってか、男は一定の理解を示して、妙に打ち解けてきた。対象者の男は「誰からの依頼か?」としつこく聞いてきたが、吉村は「それだけは勘弁してください」と最後の砦だけは死守した。仲良くなったとまではいかないが、「もう遅いですから、終電で帰りましょう」と笑い合って終わらせようとした。
しかしながら、けたたましいサイレン音を撒き散らせて、パトカーがやってきた。吉村と対象者のやり取りを見ていた住民が警察に通報したのである。対象者と話がまとまって帰宅できるはずが、警察に事情を説明しなければいけなくなった。結局、車で移動しているもう一人の探偵に拾ってもらって帰宅することになる。
「発覚後に、なぜ、帰ることに固執していたかというと、吉村は次の日に始発の新幹線に乗って
名古屋に行く予定があったからだ。SNSで知り合った名古屋の女の子と会う約束をしていたので名古屋に行く予定があったのだ。出会い系サイトが廃れてしまったが、吉村の女性を求める病はSNS上で細々と続いていた。証拠を押さえられず悔しい、という気持ちが焦る気持ちがあるので、吉村は動揺した。
結局、仮眠程度しか取れず、早朝に乗る込んだ新幹線の中で、吉村は爆睡した。
ちなみに、名古屋の女の子とは、好きなバンドのファンという繋がりだった。同じ音楽の趣味の繋がりで、吉村の地元の地元を案内して欲しいと頼んだのだったが、たまたま彼女が吉村の地元を旅行しただけで、思わずコメントをしたのだった。それをきっかけに、音楽の話などのやり取りをして、仲良くなっていった。その日の会うのは二回目だった。男であれば誰でも浮き立つ状況に違いない(探偵に成り立ての頃に付き合っていた彼女とは、彼女の就職を機に別れていたそうだ)。
この話には、後日談がある。
調査は、対象者が警戒するようになったこともあり、完全に行き詰まっていた。吉村の心には、この案件がその後も引っかかっていた。失敗したことほど忘れられず、喉に刺さった魚の骨の違和感のように気になってならないものだ。
別の調査で秋津の近くまで行ったときのことだった。調査が終わって帰ろうとしていると、ふと気になって、一悶着あった浮気相手のアパートに車を走らせたのだ。今にも太陽が昇りそうな夜明け前の静かな時間だった。眠い目をこすり、疲労を覚えながら、期待せずに様子を見に行った。少しだけ遠回りして家に帰るくらいの軽い気持ちだった。
ところが、アパート近くのコインパーキングに対象者の車が止められていたのだ。正体がバレた日は電車移動だったのだが、他の日は車移動が多く、車種とナンバーは把握していた。吉村はすぐに上司に連絡して、他の探偵が駆けつけた。そして、対象者がアパートから出てくるところの撮影に成功したのである。このときばかりは、吉村は〝持っている〟探偵だった。
探偵という職に魅力を感じていた吉村に辞める理由を聞いてみると、体力的にキツイからだという。今まで仕事に行きたくないと思ったことはないといっていたが、それは精神的なものであって、肉体的なキツさは別のようだ。深夜までの残業が続いて寝不足だと、誰でも会社に行きたくない。また、業務に慣れてきたのも一因かもしれない。経験を重ねるうちに、調査に対する刺激が弱まるのは想像に難くない。少なくとも、睡眠不足の身体で活力を与えるほどの栄養剤ではなくなったのではないだろうか。
探偵がどれくらい大変なのか、最近のスケジュールで教えてもらった。
三月一日 一〇時~一四時、一六時~一九時
三月三日 休み
三月四日 一二時~一六時半
三月五日 八時半~一四時半、八時~一三時半
三月六日 八時半~二時
三月七日 休み
三月八日 一〇時~一九時
三月九日 八時~二〇時
三月一〇日 七時~二三時(翌日の朝五時)
三月一一日 七時~一四時
三月一二日 七時~一四時半、八時~二五時(翌日の二一時)
一日でシフトが二回組まれているところは、別の案件の現場である。空き時間があるように見えるが、移動時間と下見の時間も含まれている。単純に勤務時間だけを見ると、それほどハードではないように見えるが、不規則な勤務時間であり、ときには朝まで徹夜の日もある。緊張を強いられる時間も長く、精神的な疲労もかなり蓄積されるに違いない。
二八歳の吉村にとって、今はまだ体力的にも耐えられるかもしれないが、長く続けられるのか不安になるのは当然のことだ。二〇年後は可能でも、二〇年後、いや一〇年後はどうだろう? と、吉村はこの仕事で生涯を続けていけないですよ」といったが、そのときの吉村の表情が気になっ
た。何かを隠しているような気がしたのだ。
「忙しい日々から解放されたい、というのもあります」
忙しい日々と忙殺されているのと、目の前にある業務をこなすことが精一杯で、現在の自分の状況、将来のことなど、大事なことを考える余裕がない。時間に心に余裕がないと、仕事の意義や人生の意義といったことに頭は回らず、忙しいほど仕事があるのはいいことだが、今の吉村には忙しい日常から離れる時間も必要だった。
他にしたいことは見つかっていないが、吉村はまず探偵を辞めることにした。吉村は、行き詰まったら、迷わずリセットボタンを押せる。大学を中退したときも、実家のニート生活から抜け出すときも、コンビニのアルバイトを辞めるときも、後先考えずに一度ゼロの状態に戻すことができた。
良いか悪いかは別として、普通の人間はこれができない。次の働き口が決まっていない、何も目標が定まっていない状態で仕事を辞めるのは難しい。何も考えずにただ現状から抜け出して、その先のことは後でゆっくりと考える。遠回りをしているように思えるが、長い人生で見ると有意義な時間であり、近道になる場合もある。
吉村がそこまで考えているわけではないだろう。ただ現状の息苦しさから逃れたいだけかもしれない。その逃避の理由について、吉村は次のように話していた。
「探偵を三年半ほどやって、僕もかなり変わったと思うんですよね。でも、自分はその変化を実感できないんですよ。浮気をしている人を毎日のように追いかける。それが日常になってしまって、感覚が麻痺しているような感じです。一旦、自分を見詰め直したいんです」
非日常の世界で暮らしていると、それが日常になってくる。自分の気持ちが、非日常の世界に埋もれていく怖さを感じるのかもしれない。これ以上加速する前に、ブレーキを踏まなければいけない。自分が自分でいられる世界にとどまるために。
吉村は、声のトーンを少し小さくして、もう一つ理由を教えてくれた。
「正直にいうと、プライベートを優先したいんですよね。休みも融通が利かないですから、あまり友だちとも会えていないし、女の子とも遊べない。仕事とプライベートを両立するのが理想ですが、探偵業は難しいですね。この業界、結婚している人は少ないって聞きますし……。やっぱり一度考え直したいってことですかね」
こちらの理由が本音かもしれない。体力的につのいのも、自分を見詰め直したいというのも本当のことだろう。ただ、本音は女の子と遊ぶ時間がほしいのではないだろうか。吉村の話を聞いていると、彼の中での優先順位は、常にそれが一番であると感じた。先ほどの吉村は、女の子と遊びたいという不純な自分に対する羞恥心を隠していたのかもしれない。
話を聞いた他の探偵も、途中で一度探偵業から離れている人が多かった。最初は興味本位で飛び込んだ探偵という職業だが、慣れてくるにつれ疑問も生まれてくる。ときには修羅場を目の当たりにすることもある。依頼者のためではあっても、人を不幸に陥れているのではないかと悩むような
条件もある。多くの探偵は悩み、立ち止まる。そのまま去っていく者もいれば、自分なりの意義を見つけて戻ってくる者もいる。
どんな職業であれ、三〇歳手前というのは、そういう年齢ではないだろうか。探偵という職業は、よりその傾向が強いのかもしれない。探偵は、誰かの隠し事を暴く仕事である。揺るぎない信念がなければ、気持ちの悪さがつきまとう。怨念のような違和感を振り払うために、吉村は探偵を辞めるのかもしれない。
吉村は世の中の違和感に敏感だった。大学を出て就職することに違和感があった。初体験までは簡単に女性とエッチすることにも違和感を覚えていた。コンビニの傍若無人な客にも違和感があった。プライベートを犠牲にして仕事を優先する生活にも違和感を覚えた。違和感と向き合うのは、正直しんどい。気にしないで済むなら、もっとラクに生きられる。吉村は、至るところに潜んでいた違和感を無視せずに正面から対峙することで、自分の存在価値を見出そうとしているようだった。
インタビュー中に「俺は他のやつらとは違うぞ」といったプライドを滲ませていたのは、それゆえではないだろうか。
最後に、これからどうしたいか聞いてみた。
「まだ、何も考えられないです。また探偵の仕事をするかもしれないし、実家に帰ったほうがいいかな、とも思っています、長男ですから……。うーん……、強いていうなら、音楽が好きなので、
曲を作ったり、バンドを組んだりするのもいいかもしれないですね。面倒くさがり屋なんで、わからないですけど……」
探偵を辞める悲壮感も、新しいことに挑戦しようとする高揚感もなかった。周囲の目を気にしながら淡々と自分の内部まで話してくれた吉村は、空気を読む若者らしい器用さを持ちつつも、自分の欲を優先する逞しさも併せ持っていた。根は臆病でありながらも、見知らぬ女性と会ったり、スパッと仕事を辞めたりする大胆さもある。
吉村は今後も、相反する二つの感情に振り回されながら、自分を模索する旅を続けるのだろう。いずれ確固たる自分の価値観を見つけて、影響力のある人間になっていくのではないか。そう感じさせる男でもあった。
取材した日から三年近くが経過した。その後、吉村が何をしているのか気になっていた。原稿の確認で連絡を取った際に聞いてみたいと思っていた。しかし、メールのやり取りだけで、電話で話をすることはかなわなかった。
メールには「ちょっといろいろあるので、すみません」と書かれていた。余計気になったが、彼にも事情があるのだろう。私は、いつか話ができる日がきたら、教えてください」と書いて送信ボタンを押した。